いつもはラジオやテレビで流行の曲を聴く程度でしたが、
最近になって気になる歌が出てきました。

■レミオロメンの南風
■Def techのMy way
■The Back Hornのキヅナソング
■月の206号室のうた。
■c−999の海底6マイル(浅っ)
■undercoverのリリィ

レミオロメンはすでにメジャーだし、
Def techなんかはすでに来てます来てます!ですね。
他のバンドもかなり良い音出してると思います。
特にc-999は良いですよ!
目立ったものはないけど安定しているし、けど繊細な感じもあって好き。暗い感じの歌詞も…ほ、ほら、だからそこに希望をみいだせるんじゃん?みたいな。やっぱ時代はギターロックですよね!
妙に推すのはイトコのよしみだったりします…ふふふ。
undercoverがバンド名を変えてc-999になっことを今日知ったんですけどね(連絡くれよ)
c-999、売れろー売れろー頑張れー!!
九段下まで桜を見に行ってきました。
非常に暖かい良い日で、桜は見事に満開でした。
北の丸公園には年配の人や子供づれが多くて、ゆったりした雰囲気。
持ってきたサンドイッチを食べ、近くの売店でアイスを食べ、公園内を散歩。
都会にもこんなに緑が豊かな場所があったなんて!感動です。
ぽかぽかの陽気、満開の桜の下、のんびり歩くのは気持ち良くて最高の気分♪心が洗われるようです。

その後、靖国神社に行きました。
ニュースや授業などではおなじみだったけど、実際足を踏み入れるのは初めて。
出店がたくさん並んでいて、地面は宴会用のブルーシートで敷き詰められ、まだ明るいうちから飲んで酔っ払っている人や歌をうたっる人など、昔から地元の人たちはこんなお祭りをやって楽しんでいたことをしのばせます。
境内では夜桜能の準備をしていました。風流なことですね。
拝殿でお参りをし、においにつられて出店でクレープを食べたり大阪焼きを食べたりする。

なんだかいろいろ食べ過ぎて気持ち悪いくらい(食べ過ぎるから)
けど、春っていいなぁ…日本人って素敵だな…と思った一日でした。
もう一つのバイト先の事務所を卒業する方たちの送別会が渋谷であった。当日の渋谷は休日の混雑に加え、うちの大学で卒業式があったらしく、袴姿の卒業生で溢れかえっていた。

送り出すのは、アルバイトで超お世話になったH田さん、人材派遣会社に就職するスタッフのM田さんに高校の先輩で某交通指導委員会という痛い経歴を持つK井先輩の3人。
集まったのは幹部スタッフアルバイト総勢20人ちょっと。

店は道玄坂のラブホ街の入口という、これが合コンならその後の展開(お持ち帰り)まるわかりの下心みえみえ居酒屋(笑)沖縄料理のような…無国籍のような…創作料理に舌鼓をうちつつ、3人との別れを惜しみ門出を祝い、超盛り上がる。私は横になったスタッフM田さんと意気投合☆就職先の人材派遣の会社の話や私の将来の相談、アドバイス、恋愛話など…もっと早く知り合ってれば良かった!カウンセラーでもあるのでホントにアドバイスが的確で素敵!憧れます…。M田さんと話しをしながらも逆隣のK下さんへの接触もかかせない。
K下さんはスポーツマンで甘いマスクのナイスな容貌、学生ビジネスに始まり起業し今や社長という、なんともムフフなお方(≧▽≦)夜の蝶や某ATが知ったらがっつり食いつくに違いない(笑)いつかお近づきになりたいと思ってたけど、たまたま席が隣になって超ラッキー♪ビジネスの話や恋愛話を聞いて、やっぱすごい人だなと思ったけど…モテキャラはギャグにしてもやりすぎだし、胸元にふぁっさ〜と見えるギャランドゥはワイルドを越えてナルシスト感溢れています(笑)彼女持ちだしね(チッ)
ナチュラルな恰好のオフ顔事務所社長とコント的トークもしたし、H田さんの卒業式の袴姿の写真も見れたし、K井先輩の痛いキャラも最後に炸裂してたし、はしゃぎまくりの楽しい時間でした。

一次会終了でとりあえずお開き。店の外に出て記念撮影することに。明らかに今からラブホに入って行こうとしている通り掛かりのモンモンカップルに撮影を依頼(微妙)
「はい、かもめが飛ぶのは〜?」
…はっ??
どういう答えを求めてどんな絵を取りたいかさっぱりわからんよ、おっさん!
今日、約二ヶ月ほど我が家に滞在していたばあちゃんが富山に帰りました。まだまだ雪深くて寒い中、一人で家に戻るのはちょっぴりかわいそうな気もします。私はばあちゃんのいる間、できる限りでお世話しようと努力したつもりだけれど、どうだったかな。うまくできたかな。元気できかんことを言っているだけ健康な証拠。これからも「ばあちゃんに優しく」の気持ちは持っていようと思う。

新宿で新しいスーツを買おうと思っていてお金も持って行ったのに、結局買ったのはただ一つ

ドラゴンクエスト8 公式ガイドブック 下巻 ~知識編~

おバカ…(^^;
依存しすぎにつき。。

いかんいかん。

ちゃんと現実を見なきゃ。

はぅあ〜

でもへこむわ〜〜

【チカコ通信】

ちゃらんQ(シャ乱Q)

>こんぺい師匠?
井筒監督の最新作、「パッチギ」を見ました。
初めて井筒監督の作品を見たんだけど、暴力や流血シーンが多くて痛かったです。在日の人の苦しみとかやり場の無い怒りや70年代?の風俗(ヒッピー、学生運動、フリーセックスなど)が良くわかりました。
笑えるとこもたくさんあったし。
沢尻エリカはかわいかったし。
アンソンは超良い男だったし。うふふ。

でも、
塩谷君のマッシュルームカットやオダジョーのヒッピーはどうかと思うぞ。ファンじゃなくても結構衝撃だったぞ。

誰かさんは隣で号泣(笑)
終わってからもテーマソングの「悲しくてやりきれない」や「イムジン河」をずっと歌っててウザイったらありゃしない(笑)

その後、彼はまたまた号泣します。

あはは(´▽`)泣き虫や〜〜い。

パッチギHP
http://www.pacchigi.com/

***************

2/18更新

オダジョーはアルフィーの坂崎さんがモデルだそうです。

「イムジン川」が頭から離れません。30年前に発売中止になって放送禁止曲に指定されてた、北朝鮮の歌。
 
朝は適当に起きて、昨日阪急でかったお惣菜を食べて、
早速ホテル出て、USJにレッツラゴーですいぇ〜い☆彡

USJの駅について、ユニバーサルシティを歩いてるだけで
どんどん高まっていくテンション(50)

開園すぐだったのでパスを買う行列が長々と続いていた。けどうちらは事前に買っておいたパスがあるので、行列を横目にスルー。エントランスでいろんなキャラクターがグリーティングしてたみたいだったけど、ぶっちゃけハリウッドのキャラなんてどうでもいいしと思っていたので、ストリートを猛然とダッシュ☆

こんなに本気で走ったのはいつぶりだろう…ってぐらい思いっきり走って、まず向かったのがスパイダーマン。
【スパイダーマン】
待ち時間20分となっていたのでラッキィと思って並んだのに、修学旅行生やらなにやらで、前方で人が増える増える…(わかめ)
結局40分ほど待って乗り込むことになったけど、これが最高でした一番前列に座ってたこともあって、すっごい面白かったんだよぉぶつかってくる敵、水しぶき、熱風、乗ってる車がありえない動き方をするわするわ!!思いっきり叫び、笑い、ライドが終わるときにはどこからともなく拍手が…(笑)ハナ史上最高に面白い乗り物でした。さすがハリウッドマジック
☆☆☆☆☆

【バックトゥザフューチャー】
10分くらいですぐ乗れました。前にいた学生男3人組のやたら高すぎるテンションがすごいうざかった.思ったよりすごい動いて気持ち悪くなりました。最後にガタガタ動きまくってお尻が痛くなったり。
☆☆☆

【バックドラフト】
撮影風景の3段階を見るという形で、進んでいきました。リハはたいしたことなかったけど、撮影シーンの炎の勢いや爆発は強烈でした。
☆☆☆

【ジュラシックパーク】
25mの高さから湖にバッシャーン!入り口でポンチョを売っていたけど、私らが乗った場所はさほど濡れなかった。一瞬の浮遊感が良かった。隣に座っていた女の子が大泣き(笑)
☆☆☆☆

【ジョーズ】
昔、両親がビデオで見ていたジョーズをこっそり見て、サメってなんて恐ろしいものだろうと思ったものです。実際にあった話に基づいて作られた映画だそうで、その舞台となった村をめぐるツアーに参加する形でライドが始まります。全然怖くなかったけれど、水上での爆発が一番熱かったと思う。ガイドのお姉さんの言ってることがイマイチ聞こえなかったのが残念。面白いこと言ってそうだったのに。
☆☆☆

【ウォーターワールド】
出演者のお兄さんたちがショーの前にやったパフォーマンスで客席が非常に沸きました。
ダイナミックなショーで水しぶきはもちろん炎や煙がすごく派手で、ドキドキしました。(お兄さんかっこいいし)すごく面白くて、USJ来て良かった〜〜って思ったショーでした。
☆☆☆☆☆

【しゅれっく】
シュレックは映画を見て、登場するクッキーマンのかわいらしさにぞっこんだったので是非見ようと決めてました。どうにか最後の回に間に合ってみたのですが、シュレックのアナザーストーリーみたいのが楽しめて面白かった。3Dじゃなく、4Dとは何ぞや?と思っていたけど、「その世界を体感できる(衝撃・香りなど)」ってことなんだろうな(たぶん)
☆☆☆☆

で、3時過ぎにやっとお昼ご飯。はぁ〜まわったまわったって感じです。
KWBBというバーガー屋さんでランチ。値段は高かったけど、オリジナルバーガーを作るってことでブッフェっぽいスタイルになっていたので、ここぞとばかり野菜を取りまくって栄養補充をしました。もちろん全部はさめたわけがない。

【モンスターロックンロール】
某サイトで人気ナンバーワンになっていました。前座での変な博士のしゃべりがマジ面白い。芸人さん?って突っ込みを何度も入れたかったくらい。ショーは超派手で、光や音響・花火がものすごい。出演者のダンスや歌も素晴らしく、知ってるナンバー(サンタナ、ホット スタッフ、アチチアチなど)ばかりで、超ノリノリ、大盛り上がりのショーでした。大満足。最高のショーです!!
☆☆☆☆☆

閉演までの残り時間で何に乗ろうか、話し合ったところ、やっぱりって感じでスパイダーマンにしました。またしても待ち時間20分で、今度は時間より早めに乗れたような気がする。二度目のスパイダーマンも良かった!!何度乗っても面白い

そのあとショップでおみやげを購入して、USJをあとにする。
「絶対また来るぜ、USJ!!」

ユニバーサルシティウォークをぶらぶら、ハードロックカフェでチーズケーキを食べる。
大道芸を楽しんだ後、ホテルへ戻る。

<サッカー日朝戦>
同点にされた時はホントにどうなるかとおもった。
もうだめか…いや、まだ時間はあるし…と思った時の
大黒のゴール!!
マジ最高!!ヒーローだよ、彼!!
決めた瞬間、ベッドの上でジャンプしまくって喜びました。
(スプリングの調子がおかしくなったのはそのせい)

高揚した気分のまま夜のミナミに繰り出す。
口ずさむは「日本代表応援コール」。うかれた若者は結構いました。

?神座 かむくら
有名人の色紙がたくさん飾ってある超有名なラーメン屋さんで夜ご飯。
ここのラーメンが最高にうまかった
野菜スープなのかなぁ?すごくあっさりしたスープで、うまみが豊かで、具材としてはめずらしい白菜の量とクタクタ具合が絶妙で、白菜の甘さがスープとマッチ!!麺は細めで、するするっと食べれちゃう。これにタマゴのトッピングを加えるとまろみが増して、より味わい豊か。「おいしいラーメン」って名前に偽りなしって感じです。新宿にもお店ができたらしいので、是非行ってみようと心に決める。おいしいラーメン 600円(22時以降〜)
☆☆☆☆☆

ホテルまでの帰り道、なんだか一日が最高に面白く、最高に楽しく、最高においしかったからテンションも最高潮で、スキップしながら道を歩いてた。
そしたら、

チリンチリン

「君たちさぁ、年いくつ?」

きゃーナンパ!?

かと思いきや、おまわりさんや〜ん!!

最高の一日。けど、こんなオチ…ふっ
午前7時過ぎ、大阪駅に到着。
昨晩からぽつぽつ降っていたという雨はだいぶ小康状態。
キャリングケースを引き駅構内をうろうろして、やっと見つけたカフェで朝ご飯です。
?デリカフェ
ホット黒蜜ラテ、おさつロール、チョリソー(700)

インフォメーションセンターでスルッと関西を購入。地下鉄・バスの他、23の施設が無料のクーポンがついたフリーパス、値段は2000円と超お得!
早速パスを利用して宿泊するホテルのある弁天町へ移動。三井アーバンホテルのチェックインまではまだ間があったので、フロントで荷物を預かってもらい身軽にして、大阪観光へGOなのだ!

【難波】
自由軒に行くがまだ開店前だった。?( ̄□ ̄ || 〒 ||
?たこ焼き会津屋☆☆☆
美味しんぼにも載ったここのたこ焼きはソースなし付けだれなし、そのまんまで食べる。きじにだしの味がついてておいしい。9個300円
?たこ焼き赤鬼☆☆☆☆
道頓堀にある有名店。タレの種類が4つある。できたての熱々を頬張ると旨味が口中に広がる。タコも大きく食べごたえあった♪マジうまい。6個300円
http://www.akaoni-takoyaki.com/

【新世界】
平日だからか人が全然いなーい!お昼なのに静まりかえった通り(赤井)秀和の言ってた雰囲気と違ーう!通天閣へ行って、動物園前商店街で迷子。昼間っから飲んでんじゃねーよ!
天王寺動物園にいっていろんな動物を撮りまくる。人いないのに動物たちはサービス精神おう盛。なきまくるカバに高速で泳いでジャンプするペンギン、ブレイクダンスを披露するアカリスなどなど。不覚にも楽しんでしまう。

【四天王寺】
続いて四天王寺。が、閉まってるし!どうやら3時で終わったらしい。ショック!!

【梅田】
梅田へ戻る。空中庭園を目指してスカイビルまで歩く。
が、すごい歩いてヘトヘト…
そしてすっごくお腹が空いたので、早めに夜ご飯。

?カツドン ☆☆☆☆
カツが薄めなので男の人はボリュームが足りないかも。でも、ダシが抜群においしかったし、お味噌汁も良い味してた。600円

そして空中庭園へ。
35階までのエレベーターは異世界に行ったようなふわふわした感じ。
空中エスカレーターは幻想的でキレイとしか良いようがない。
屋上の展望台スペースへ移動すると、大阪の夜景が360度パノラマ。
誰もいなかったから、丸ビルも車のテールランプも全部うちらのものみたい。

ロマンティック・ドラマティック・ファンタースティックだね

そう言って、笑った。
もちろんアレもやった。

We’re king of the world!!
はい、バカップル。

夜景に満足、お腹も満足したのでホテルに戻る。
部屋からの眺めもこれまた良いんだだって37階だものイェーイ
すっごい疲れちゃったから、お風呂入って、テレビ見て、マッサージして、
翌日のUSJの計画たてて、おやすみなさい…

*「雨の御堂筋だぁ!!」って興奮してたのにわかってもらえませんでした

イェイ☆

2005年1月29日 日常
テスト終わりましたヽ(*⌒∇⌒*)ノ::・’゜☆
結局テスト8つとレポート7つやりました
(微妙に数が減っているのは気にしない)

まだ、ゼミのレポートと勉強会があるけれど、
まぁそんなことは置いといて。
一足先に開放感を味わっています♪♪

イヤッホー!!!(ノ^∇^)ノ
テスト終わったどーー!!

この数週間、睡眠不足と疲れで、体の節々が不調です。
ストレスから胃炎になるし(また)、目にはひどいクマと、ものもらいができるし、筋肉痛もひどい…
そーいや親知らずも成長しだして歯茎も痛い。
今の私はありとあらゆるウイルスに対して免疫がなくなっている。黄色信号です。

けど、今日は事務所の新年会がいまさらあるので、行ってきます。
六本木のノーパn…じゃなくて、しゃぶしゃぶのお店らしい(笑)楽しみだ〜〜♪

レポート終了☆

2005年1月25日
今日、やっとレポートを提出したよ。
期限が17:00までで、受付に出したのが16:56…

すげーギリギリ。

7つ分の表紙をつけるのにかなり手間取ってしまった。

見直しとか全然してないから誤字脱字等あるだろうけど、勘弁して下さい。出すことに意義があると思うのです(力説)先生ー切り張りチェックとかしなくていいですよー。お互いのために。

評価とかどーでもいいから、とにかく単位を下さい。

引き続きテスト残り4つです。あーあー

>Iちゃん
すごーいじゃなーい♪おめでと〜ヾ(〃^∇^)ノ
懐かしい単語を聞くと、高校時代を思い出すよ。I元の授業とか(笑)

みんなぁテスト頑張ろうね〜〜
単位取れるくらいほどほどにね〜〜

哲学レポ;QOL

2005年1月18日 教育
Quality Of Lifeという言葉を私は哲学の授業の中で始めて耳にしました。おそらく、そのような学生は多いことと思います。家族や友達、バイト先の先輩などにもQOLという言葉を聞いたことはあるか、または知っているか尋ねたところ、直訳は答えられるものの、それが具体的に何を意味しているのか答えられるものはいませんでした。これはこのQOLが一般的に使用されず、浸透していないことが言えると思います。

  そもそも我々は普段の生活の中でLifeをそしてそのQualityを感じたり、気にかけたりする機会はほとんど無いように思われます。もっとも現代人は急速な社会変革の流れに飲まれて、その忙しさのあまりそれを考えることを忘れているだけなのかもしれません。それとも生きていること、生命があることが当たり前すぎて、そこに存在価値を見出すことをおろそかにしているのかもしれません。このように普段の生活においてLifeのQualityを考える必要性に駆られていないのです。しかしQOLの概念の発生した背景や、この考え方が多く取り入れられる分野を調べていくにあたり、今こそ我々にQOLという考え方が必要だということがわかりました。その結論に至った経緯を説明するにあたり、まずQOLの概念の発生から述べていきたいと思います。

  1960年代、ヨーロッパでは社会経済の急速な発展を遂げ、それに伴い環境汚染は進行、都市の生活状況は悪化していきました。これは利便性や効率性を貪欲に追求した結果、必然的に現れた副作用といえます。この社会を背景に、物質的な豊かさ、数量的に捉えられる物質的な幸福ではなく、非物質的で数量的には捉えがたい精神的な豊かさを求める動きが始まり、そのスローガンとして掲げられたのが今回のレポートのテーマであるQuality Of Lifeでありました。このようにQOLは初めから存在していた考え方ではなく、社会変化の中で見失っていた人間の本質を探ろうとしたときに必然的に出現した概念といえます。

  1980年代に入り、QOLの概念は医療やリハビリテーションの分野で急速に強調され、広まっていきました。例えば、医療現場での末期ガン患者の治療において、痛みや苦痛からの解放、限られた生命において人間の尊厳を尊重すること、介護する家族や患者が死亡し残された家族の精神的ダメージを癒し緩和することなどがQOLの概念に基づいた考え方です。
  患者の精神的なQOLを高める方法として以下のものがあげられています。
・病状を軽くすること
・患者のポジティブで健全な要因―知的能力・特殊な才能、残っている社会的スキルなどをよりよく用いることができるように患者を援助すること。
・患者に新しい、またはよりよい活動の源泉―新たな関心、趣味、教育、社会的スキルなどを与えること。
・患者に就労の可能性、住居やデイ・センター施設について話すなど、患者が環境をよりよく用いることができるように援助すること。
・    患者の援助の仕方や付き合い方を家族や友達に教え、患者クラブやワークショップを創設するなどして、新しい環境条件を用意すること。
これらの要因を順次実現していくことにより、患者のQOLは確実に向上していくのだそうです。(アゲナエス・1994の指摘による)

日本では近年社会の高齢化が急速に進み、2050年には4人に1人が高齢者になると予測されているほどです。そして今年も日本人女性の平均寿命は世界一でその記録はまた更新されました。医療技術は革新的に進歩し、衛生状況は飛躍的に向上した結果です。長寿が増えるということは健康な老人だけでなく、寝たきり・痴呆・ボケ・病気といった周囲からの介護を必要とされる老人が増えることを意味します。この社会状況の下で、Lifeを見直す重要性は高まっているのです。

われわれはもし家族が余命を宣告されてしまったら、まずはその命が少しでも長くあってもらえることを願うでしょう。どれだけ希望が薄く、辛い病気だとしても死を引き伸ばそうと考えるに違いありません。一方で家族の苦痛を見ているのに耐えられず、早く楽にしてあげたいと安楽死を考えるかもしれません。このとき問題になってくるのが、Quality Of LifeとQuantity Of Life、つまり生命の質と生命の量だと思います。どちらを優先しようと考えるかは自身の問題です。患者のQOLを高めるには個人の価値判断を基準にすべきだと思います。社会の観念や家族の考えによることなく、個人の意思をもってそれぞれのQOLを高めることが重要だと思います。

さて現在の私たちはどうすれば生命の質を高めることができるのでしょうか。生命を損なうということは命を犯す、つまり自殺を図ったり生命を軽く考えることと理解します。しかし、生命の質を高めるとはどういうことなのでしょう。漠然としていてはっきりとしません。「充実した生活を自分らしく送ること」これは生活の質を向上させることになると思います。生命の質を高める意味を考えることは、人間の存在意義を考えることにもつながり非常に重たく、難しい問題だと思います。しかし私ができる方法としてあげられるのは「日常でQOLとはどういうことなのか考え、それを高めることを意識しながら生活を送ること」それこそが私にとってQOL−生命の質―を高める生き方だと思います。
 

近況

2005年1月17日 学校・勉強
どーやらテストが9つと
レポートが7つあるみたいですね(他人事)

*5700字、4000字、4000字を含む

ああ〜今までの出来事が走馬灯のように脳裏を…。
【あらすじ】
敗戦後の東京、食べるものに事欠き貧しい生活をおくっていた主人公、笑子は進駐軍経営のニグロ専用のキャバレーで働いていた。そこで親切で紳士的な黒人のトム伍長と出会う。二人の仲は急速に深まり、周囲の反対を押し切って結婚、やがて初児のメアリイが産まれる。
 やがて軍の命令でトムは本国に帰国するが、なかなかアメリカにおいでという連絡は来ない。メアリイは肌が黒いため、黒ん坊として周囲からいじめられ、笑子の母や妹までもが黒ん坊が自分たちと血がつながっていることを恥だと言ってなじる。この状況に耐えられなくなり、娘のためを思って、日本よりずっと良い生活が待っていることを信じて笑子も渡米する。
 トムは日本で軍人として生活している間は給料も良く裕福だった。しかし、アメリカに帰ってみるとハーレムの一部屋で生活は始まり、ろくな仕事もなく、笑子はレストランなどで働くこととなる。次々に産まれてくる子供の世話とやりくりに奮闘する笑子であったが、ことあるごとに「ニグロの妻」という立場にあるという現実に打ちのめされる。トムも日本にいる間は自信と愛情に溢れた良き夫であったが、アメリカに帰ってみると疲れきった黒人の男になっていた。なぜニグロは差別されるのであろう…第三者的に悩み苦しんでいた笑子であったが、やがて自分もニグロであるということを悟る。そして最後に自分自身に向かって「私も、ニグロだ!」と叫び、逞しく生きていく決意をする。

【感想】
 主人公はニグロと結婚し、ニグロの妻だということで日本でもニューヨークでも厳しい生活を強いられる。トムは給料の良い軍人ということで日本人には好意的にとらえられているように思えたが、アメリカだけでなく日本でも黒ん坊は差別の対象になったということに驚きを隠せなかった。これは黒人=劣等という認識の輸入、また一民族しか存在しない島国日本で他民族は排他すべきという閉鎖的な考えが根底にあるのではないだろうか。けれども戦争花嫁にふりかかる社会からの圧力と人種差別を理解し、それを受け入れて生きていこうとする笑子の姿勢、その強さと逞しさに感動を覚えた。
気になったのはトムが自分の娘メアリイを白雪姫と呼ぶ点だ。メアリイは日本人と黒人のハーフなので、多少は黒人性は薄れているかもしれないが、やはり黒人の血が混じっていて、周囲からは黒ん坊と揶揄される子供である。なぜトムは白雪姫と呼んだのだろうか、いやそう呼びたかったのかもしれない。黒人として生きるということの困難が少しでも自分の娘に降りかからないように、という親心だろうか。アメリカで黒人として産まれ、生きていくことは計り知れないほどの悲しみと苦しみを背負うことだと感じた。
人間は誰しもが他の者よりも上でありたいという気持ちを持っている。他者と比較し、自分のほうが優れていると確認しなければ落ち着かず、自分の自我を形成させているように思う。差別意識はそこから生じるものであると考えたら、決して無くなることのないものではないかという考えに行き着き、気分が暗くなった。タイトルの『非色』は「色にあらず」で、肌の色は関係ないという意味でついたものだと思う。色を超えて生きていこうとする主人公の姿は著者の願いが込められているように思われる。
【Outline】
 人魚遊びを始めたPearlはその衣装の仕上げとして、アマモで胸に緑色のAという字をつけた。Hesterの声が聞こえたので、Pearlは小躍りしながら母親の前に姿を見せ、胸の飾りを指した。
  Hesterはそれを見て、「何故お母さんがこの字をつけているのか知っているの?」と聞いた。すると、Pearlは「牧師様が胸に手を当てているのと同じ理由でつけているの」と答える。それを聞いたHesterは青ざめて「どうしてあの字がお母さん以外の人の心と関係があるの?」と言う。その様子にPearlは真剣な表情で、緋文字の意味・母親は何故それをつけているのか・牧師様は何故胸に手を置いているのか、問う。
  Pearlはいつもと違う顔つきで、Hesterの目を覗き込んだ。それを見たHesterは今まで四月のそよ風のような気性とわが子を評価してきたが、彼女は早熟で利発な子だから、もう自分の悲しみを打ち明けてもいいほどの年齢になったのではないかと思う。同時にPearlの性格と自分の罪の関係に恐ろしさも感じる。

【本文】
p171.L4 She inherited her mother’s gift for devising drapery and costume.訳)彼女は母親から織物や衣装を考案する才能を受け継いでいた。
     →母親の胸のAという字も忠実に再現しようとした。
L8 A letter, -the letter A,-but freshly green, instead of scarlet!訳)それはある文字、―例のAの文字だったが、緋色ではなく、鮮やかな緑色であった。
     →Hesterの胸の緋文字とPearlの胸の緑の文字の対照
L11 device 紋章=緋文字A
; even as if the only one thing ~to make out its hidden import.訳)その隠された意味を明らかにすることがだけが、この世に生を受けた目的であるかのように 
     →Pearlは生命を吹き込まれた緋文字・罪の象徴としての存在
L34 “It is for the same reason that the minister keeps his hand over his heart!” 訳)牧師様が胸に手をあてているのと同じ理由でつけているの

p172 L3 on second thoughts, turning pale 訳)ふと思いなおして青ざめた。
L7 she was wont to speak. <古語>いつも・・・する
     “Ask yonder old man whom thou hast been talking with! 訳)さっきまで話していたあのおじいさん(チリングワース)に聞くといいわ!
     →やはり真実を全て知っているのではないかと思う。
L21 ; which spends return in airy sport, and(=but)has its gusts of inexplicable passion, / and is petulant in its best of moods,/ and chills (you) oftener(〜するほうが多い) than(〜するより) caress you, when you take it(=breeze) to your bosom;
L27 then begone about its other idle business , leaving(分詞構文・付帯状況) a dreamy pleasure at heart.
訳)人の心に夢のような喜びを残しては、また他の用事に取り掛かる

【HesterのPearlの気性に対する評価の文章】
~p173.L1 今までは「四月のそよ風」
・軽やかな戯れにふけっているかと思うと、一陣の旋風を起こす
・上機嫌のさなか気難しくなる
・抱擁してやろうとするとすげなくする
他の人の目には愛嬌の無い子と映っているのだろう

↓ Pearlの真剣な態度を見て

     「母親の悲しみを理解できる年頃になったのだろうか」
     ・ものに動じない勇気と堂々たる節理
     ・他人の支配を許さない意志
     ・自尊心に変化するかもしれない傲慢さ
     ・虚偽のかげりがあることが判明する、全てに対するさげすみの出現を感じ取る。
Pearlのこうした性格と母親の罪の結びつきが恐ろしい結果を生む?
→ミルトンのサタンが神の前にひざを屈することを拒否した描写を連想させる。
1.はじめに 
我々が生活するこの世界でお金の存在は計り知れないほど大きい。社会・国・地球上あらゆるところでお金が使用され、流通している。財布を開くと、たいていモノやサービスと交換できるお金が入っている。お金は常に存在し、そこにあるのが当たり前すぎてあまりその意味を考えたことは無かった。今回授業でお金について取り上げられてことは、それを考え直す良い機会だったと思う。お金の意味を考える前に、改めてお金の発生の歴史、そして実社会でのお金の機能を調べなおし、それから自分にとってお金はどういう意味を持っているか考えてみたいと思う。
  
2.お金の歴史
   お金が登場する以前はモノとモノとの交換によって物質は流通していた。物々交換はモノを欲しがる人同士が了承しあわなければ成立しなかった。そこで登場したのが貨幣だが、貝や石・金貨などタイプはさまざまだった。しかし国によってお金の形態は様々、価値も一定しておらず他国との商業では非常に不便だった。そこで、品質の一定した鋳造貨幣が紀元前7世紀小アジアのリディアで作られた。国がしっかりとし、国と国との交流や貿易が開始され経済が成り立つ鋳造貨幣の登場は、人類の偉大な発明だったといえよう。
世界初の紙幣は中国の宋の時代に鉄銭の預かり証として発行され使用されるようになった交子である。紙幣は金と交換できることを保障して価値が決められていたが、現在ではこの金本位制は崩壊しており、日本の円は日本銀行がその価値を保障している。

3.お金の機能
   お金・貨幣は資本主義経済を成立させるために本質的な役割を果たすモノである。貨幣はモノの価値を客観的に比較する価値の尺度として、共通価値を有することで成り立つ交換の媒体として、また長期的に財産を保存・蓄積を可能とするモノである。このように主として3つの機能を持つ貨幣だが、貨幣自体のモノとしての価値は少ない。100円玉自体に100円の価値があるわけではないし、紙幣はただの印刷物である。その貨幣に額面どおりの価値を与えているのは、人々の信用という共通認識である。つまり貨幣の価値は貨幣として用いられるモノの価値とは本質的に分離されているものだ。貨幣とは我々が紙切れに与える価値の共通認識があって初めて貨幣は流通するモノである。
  
4.私とお金 
   私の場合、お金に対する価値の意識は成長するに従って変化してきたように思う。小さい時は月に数百円のおこづかいをもらって、それで十分やっていけた。お昼ごはんは学校で食べられるし、おやつは家に置いてある。遊ぶのは近くの公園や友達の家ばかりでお金はほとんど必要なかったからだ。時々数百円で自分の好きな駄菓子を買う・・・それがささやかな幸せだったことを思い出す。そして自分がお金を使っているという意識に大人への仲間入りの感覚を持ったものだ。あのころは500円という金額がどれだけ大きく感じたであろう。
   成長するにつれ、友達つきあいや洋服にかかる費用、外出費などが増えていき、使う金額も増えていったがお金に対する意識が変わったのはやはりアルバイトを始めてからであろう。それまでは親や親戚に何もしないでお金をもらっていたが、アルバイトによってお金を稼ぐとはどういうことか、その大変さを知った。お金とは自分の労働のご褒美だ。同時に自分の頑張りの証でもあるのだ。そう考えると無駄使いはできないので、お金を使うのにも慎重になった。自分が本当に欲しいものを買うようになった、ともいえる。そうして商品を買う(商品と交換する)という行為に本当に大きな喜びと幸せを感じられるようになったのだ。
   私にとってお金とは人々に主として喜びと幸せをもたらすモノである。誰かの労働でそれに見合った賃金をもらい、お金を商品やサービスに交換する。その時に誰もが喜びを手にするだろう。その貨幣に額面どおりの価値を与えているのは人々の信用という共通認識である、と先ほど書いたが、貨幣という媒体を通して得られる商品に対する思いや喜びの大きさは、その人のお金への思いに付加価値を与えるであろう。私は自分が汗水を流して一生懸命働いて稼いだお金に数字以上の喜びと誇りを感じるし、そのお金を商品に交換するということは貴重なことに思える。お金の使い方をあやまるとひどい目に合うこともあるが、お金という媒体があってこそモノとモノがつながり、それを使用する全世界の人々ともつながりあえる、現代社会に生活するに欠かせないものとして、また自分の労働力の結晶として、お金は素晴らしい発明だったと心から思い、この媒体が全ての人々に喜びと幸せをもたらすモノであると信じてやまない。
■大学生の学力低下
 「最近の大学生は・・・」というと、「学力低下」が続けて叫ばれることが多い。大手企業や会社関係者が新卒者を評価して言うセリフである。そしてその学力は年々低下していっているらしい。この話を聞くたび、英才教育と言って小さいころから多くの知識を身に付け、厳しい受験戦争を生き抜いて来たはずの学生は何故それほどまでに学力低下が言われるようになってしまったのか疑問であった。『学生の学力低下に関する調査結果』*による教員の反応では、学習意欲に欠ける学生の入学、自主的に考え表現する能力の無さ、受験学習への偏りが多く寄せられている。これを改善する策として、日本の受験教育システムを考え直すことが必要だ。先日NHKを見ていたら、(残念ながら日付と番組名は忘れてしまったのだが)「スウェーデンは親の資産状況に応じて罰金の額が決められる」という話を聞き、目からウロコが落ちた。この方式を日本の大学システムに取り入れることはできないのだろうか。つまり上流階級の子女は多くの授業料を支払うことにし、貧乏な家庭はタダにする。現在高い入学金と授業料を支払う日本、授業料のみのアメリカ、そして一切無料が多いほとんどのヨーロッパ諸国、どのシステムよりも合理的で、最も学生の意欲を反映できる教育システムだと思う。この方式は医学部で最も効果を発揮する。高い学費ゆえに、裕福な開業医の子供しか医学部に入れない現状は、歪んだエリート意識ばかりを高め、倫理観の喪失や医療ミスの隠蔽などにもつながっている。親の資産に応じた学費制度を導入すれば、能力とやる気のある者が医者になれるチャンスが広がるのではないだろうか。
■フリーターの存在意義
厚生労働省の定義によれば、低賃金、低技能のパート労働者の200万人。総務省の定義では、派遣社員や契約社員を含めるために417万人、フリーターという言葉が流行、定着したのは、1987年ごろのことだった。それまではアルバイターなどと呼ばれていたようである。フリーターは無責任・税金を払っていないなどとマスコミから激しく槍玉にあげられる。作家・村上龍は、「フロム・エー」(2001年3月6日号)巻頭のインタビューで「フリーターに未来は無い」という発言し、この発言を幾度と無く繰り返してきた。「アンチ競争社会の世界で生きる」ことは逃げているだけで、「技術やスキルがない」から、結局は企業などに安く「コキ使われてしまう」だけでいいことは何もない、ということのようだ。フリーターでもビジョンを持っている人は未来が無いといわれても気にしないだろうが、問題なのは不安なのに何とかなると思考を停止させている人たちであろう。この発言を聞いたフリーターたちは危機感を抱いただろうか。私はフリーターが増えたのは働くことの意味が「国のため」「社会のため」から「自分のため」と考える人が増えたことが原因ではないかと思う。結婚相手として考えるならば私はフリーターは考えられない。やはり定職に就いた人でないと将来が不安だ。しかし、正社員より低賃金で学生より沢山働くことのできるフリーターは現代社会にとって必要な労働力であることも確かだ。村上龍はそんなフリーターを「未来は無い」と切り捨てているのではなく、「フリーターはもっと努力してスキルを磨いて競争社会に生きろ」という応援のメッセージを送っているのだと思う。
■親になれない大人たち
昔から子供の虐待は存在し、若い親だけが虐待行為をするわけではないが、若い親が若い父母が加減がわからずに我が子を死に至らしめるニュースを非常に多く耳にする。成人式に出席した時、小学校時代の友人の何人かはすでに結婚し、子供がいる人がいた。彼女は子育てに相当苦戦していて、「夜鳴きするから眠れない」、「泣き止んでくれないとぶってしまう」などと話していた。性の自由化の風潮の中で若者の性行動により、望まない妊娠をするケースは増えている。一部の若い親には、子育ての環境も知識も十分整わないまま親になってしまった人もいるだろう。昔はこのような若い親を家族だけでなく、近所の人たちなど地域ぐるみで支えていたという。近年、核家族化が進むにつれ、若い母親は地域に気軽に相談できる人がいず、孤立し、迷いながら子育てをしている人も少なくないのが現状だ。それが子供を虐待することにつながり、悲しい結果を生みだしている一つの要因である。私の母親は、「子供が生まれた時、まだ母親は半人前だ」と言う。親も子供と成長していく、それには地域の先輩たちの力も必要なのだそうだ。近い将来、自分自身にも大きな課題となってくる子育てをしっかり行うために必要なことは、自分の自信と地域に守られているという安心感、そして知識だと思う。社会がもっと若い親や子供に関心を向けなければなるまい。

最も身近な問題として、同じ世代の若者として、一般的に言われる若者の問題について取り上げたが、社会にはまだまだ考えるべきこと、問題もまだまだある。今、前回の課題図書でテーマであった「自信力」はその解決につながる重要なキーワードであったような気がする。1月11日に始まったNHK大河ドラマ「新撰組!」で佐久間象山が「20代は家族、30代は故郷、40代で国、50代で世界を考えればよい」と言っていた。現代はこれでは目を見開くのは遅すぎると思うが、とにかく自分の目前にあるものを自信を持って精一杯こなしていけば良いという応援メッセージとして受け取った。社会の一員になったばかりの新成人も、やれることを一生懸命やって行こう。まずは自分に自信を持つことでまずは自己を確立せねばなるまい。少しずつ、自分のことだけでなく社会にも目を向け、ものを考えていくことが我々の課題だと思っている。

■参考サイト
『大学の学生納付金』
 「あなたは、自信がありますか?この問いに、いったいどれくらいの人がyesと答えられるだろう?」(課題図書・裏面)いつまでもアメリカのいいなりになっている政府・長引く不況に相次ぐ倒産、増加する凶悪犯罪とその低年齢化、現代の日本はこのような不安定な時代だ。そしてどれだけ頑張っても努力しても、時に報われないことがあるということを知ってしまった人間に、「自信」という揺るぎないものを持つことが難しくなっているのは当然である。現代は元気が無く自信のない大人があまりにも多い。
教師の自信はどうだろう。先日、**「生徒指導に自信、6%」という記事を目にした。それは、生活指導を始め教科指導・教科の知識・学級作り・部活動など5項目のついての自信についてアンケートをとったところ、生活指導では「自信がある」と言い切った先生が日本ではわずか6%しかいないというものだった。私はある程度予想はできたものの、あまりの数字の低さに驚きを隠しきれなかった。このアンケートは日本のみならず英国と中国でも行われ、同じ質問に対し、英国では47%、中国では73%もが自信があると答えたという調査結果が載っている。日本と中国でこれほどまでに教育指導に対する自信の差が出たのは何故だろうか。このような疑問を持ったとき、両国の教育に対する社会的観念を考えると自ずと理由が見えてきた。

教師のとらえ方の差
中国は12億人という世界最多の人口を抱えるが故に、多くの子供が親元を離れて生活している。中国ではよりよい生活を送るために、子供のころから大いに勉強し、良い大学・良い会社に入り立身出世をすることが大事であるという根強い考え方がある。よって中国は子供にものを教える教師という仕事に大きな期待を寄せると共に権威性をも与えていることが想像できる。一方、現在の日本の社会はどうだろう。いじめ・不登校・学力偏重・さらに学級崩壊などさまざまな学校問題が噴出する教育現場での教師の苦悩は計り知れない。同時に父母の期待・社会の批判的な目を背負っている日本の教師。昔は教師と親の価値観が一致していたようだ。「言うことを聞かない時は、殴っても蹴ってもいい」と言われ、教師は生徒の親から絶対的な権威性を与えられていた。現在はそんな親は殆どおらず、子供と価値観が一致していて、我が子の弁護ばかりしている親が目立つ。子供が問題を起こしても、「うちの子が悪いのではない。相手が悪いのだ」と言い張り、絶対に自分の子の非を認めようとしない親もいる。地域も問題教師の報道の連続に教師を批判的に観察している。地域や親の協力体制(バックアップ)、教師に対する価値観の違いが教師の自信の差を生み出しているように思う。

教師の教育の自由と権威
教師とは***「国家や社会の教育目的の達成のために、管理される存在である。」そして、教師の任務は「親の信託に応え、子どもの学習権を充足させる教育活動を行うこと」である。そのために、学校には子どもの学習権を保障するという枠内では「教育活動の自由」が認められるべきだ。また、「教育活動の自由」を行使する教師は、教育に専門的力量、そして人間的な資質が求められている。現在、教師という仕事は聖職ではないし、素晴らしい教師ばかりではないのは事実だ。しかし親は完璧な教師は多くない、という認識を持った上でできるだけ教師をバックアップし、教師の権威性と自信を確保するという寛容な態度が必要だと思う。その中から教師・親、教師・生徒の信頼関係などの信頼関係が築かれていくのではないか。私を怒った教師は、親との関係は良くなかった。単に不機嫌だっただけなのかもしれないが、彼はきっと教育に対する、生徒に対する自信の欠如が根底にあったのではないだろうか。だから、当時自信に溢れていた私に対して怒りを覚えた、今はそのような考え方を持っている。

自信力とは
「疾風怒濤の時代」という言葉は青年期というより、元気が無い・自信が無い現代社会を的確に表した言葉だ。そしてそんな周りの大人や教師を見ながら、子供が育っているということはまぎれもない事実だ。「自信」とは自らの持っている能力・価値などを信じる気持ち、「力」とは自ら動き、他のものを動かす作用をするものである。つまり、大人の自信力回復なくして、子供の自信力は育たない。未来を担う子供のためにも、今こそ日本の自信力を回復することが重要だ。

<参考文献> *「青年期の心」(福島章執筆)
** 朝日新聞9・22一面
***『教育と人権』(堀尾輝久執筆)
 日本人の英語力は他の国に比べて低いということをよく耳にする。義務教育で中学校の3年間、それに高校、大学と合計8年間近く英語を勉強してきているにもかかわらず、英語をマスターすることはおろか、満足に使いこなすことができない自分を情けなく思う。その理由を考えると、日本の英語教育に問題があるからではないかという考えは否定できない。 
 中教審の指導要領では国際的な人間を育てることを大きな目標の一つに上げている。国際的な人間とはつまり、国際的な視野を持ち、国際的な感覚を身につけること、そしてもちろん英語を自在に操ることができる人間と解釈している。しかし、この一大目標に沿った英語指導は行われているのだろうか疑問である。中学の英語の授業で主として重きが置かれるのは英語の<読み・書き>であったように思う。受験英語と呼ばれるような詰め込み式の英語学習では英語という言語を習得するのが困難であるということは、今も過去も多くの日本人が実感してきたことだ。英語とは学問ではあるけれども、あくまで人と人とのコミュニケーションで使う言語であるのだから、もっともっと<聞く・話す>というスピーキング・リスニング中心の英語学習に転換していかねばならないと思う。
 そして、国際的な感覚を身につけさせる指導をどれだけの英語教師ができるのだろうか。そもそも世界に通用する国際感覚を持ち合わせた英語教師はさほど多くないのではないかと思う。英語を習ったとしても使う機会が無くては意味がない。しかし日本で本物の英語に触れる機会は数少ないのだ。中学で外国人の先生が英語を教えてくれる時間というのがあった。こういったnativeの英語を生で教えてくれる機会をもっと増やすべきだと思う。そして英語の教師は指導能力以外にも一定レベルの国際感覚を身につける機会(英語科教諭又は志す人たちの海外留学を必修にする等)を設けるべきだと思う。
 小学校英語教諭の育成、中学・高校英語教師のレベルの底上げ、縦の軸での教師同士の連携、の重要性を認識した上で、理想的な英語教育の形として、早期に英語を小学校の科目に入れることの実現、そして授業では文法等を中心に教える日本人の教師とコミュニケーションを中心とした外国人の先生の二人で授業を組み立てて行くということが横の軸での連携なのではないかと思っている。縦の軸・横の軸の英語教育を確固たるものにし、安定した基盤の上で指導を行うことがこれからの英語教育にとって必要であると思う。
1。はじめに
   ボーマルシェ作の演劇作品「フィガロの結婚」は18世紀にモーツァルトが美しい音楽をつけて上演が始まってから、現在では世界で最も数多く上演されるオペラであり、オペラ史上最高と称される傑作です。私は高校二年のとき、演劇鑑賞の授業の時間にこの作品を鑑賞しました。しかし、イタリア語での上演だったため話の筋がよく理解できず、残念な思いをしたことを覚えています。今回のレポートを書くにあたり、「フィガロの結婚」に再度触れることができたのはとてもよい機会だったと思います。

2.あらすじと感想
   ごく簡単に言ってしまえば、伯爵邸の召使いのフィガロが伯爵夫人の侍女スザンナと結婚をする話ですが、初夜権(宮廷の主人は、その召使の結婚の際花婿に代わって初夜を共に出来るという権利)をひとたび放棄したもののスザンナに気がある伯爵はその復活を企んでいる。伯爵夫人は、夫の冷めゆく愛を嘆いています。そこで夫人、フィガロ、スザンナが結託して伯爵の鼻を明かそうと企みます。恋する思春期の小姓ケルビーノをスザンナの衣裳で女装させて伯爵をおびき出そうとしますが失敗。一方、フィガロに横恋慕の女中頭マルチェリーナはフィガロに借金返済が無理なら自分と結婚するよう強要し裁判となりますが、フィガロがマルチェリーナの子であることが発覚します。一転して喜びの再会。次に夫人とスザンナはお互い衣裳を換えて、伯爵の浮気現場をおさえようと画策します。事情を知らないフィガロはこれに一時混乱しますが直ぐに理解、しかし伯爵はまんまと引っかかり、夫人に平謝りして4つのカップル(フィガロとスザンナ・バルトロとマルチェリーナ、ケルビーノとバルバリーナ、そして伯爵と伯爵夫人の愛も復活)が誕生し、全員喜びの大団円となる。長かった一日がハッピーエンドで終わります。
「喜歌劇」ということで、悲壮な雰囲気や乱暴なシーンはなく、明るくコミカルな誰もが楽しんで鑑賞できる劇だと思います。そしてその中で登場人物がみな人情味にあふれ、素敵な人間性を持ち、さまざまな愛の形、そしてその素晴らしさが表現されています。観客や読者を楽しく、幸せな気分にさせる、気持ちのよい作品です。

3.フィガロの結婚にみるゴロワ精神
「フィガロの結婚」の作者であるボーマルシェ(1732−1799)は、天才的劇作家と言われています。彼の人生を見てみると「フィガロの結婚」が生まれたのが当然のことのように思えます。彼は、パリの時計商の家に生まれ、王室の時計師として宮廷に出入りを許されていてそれを機に社交界に出入りするようになりました。そして、貴族の未亡人と結婚して男爵となり、投機により巨万の富を築いた後、音楽家、劇作家、宮廷人、実業家、金融家、出版、土木業などさまざまな職業の肩書きを持つに至りました。彼の経験が「フィガロの結婚」のストーリーに反映されていて、フィガロ=ボーマルシェ自身であるように思います。
esprit courtoisが宮廷作法や騎士道や礼儀などを重んじる厳格な精神である一方で、esprit gauloisは下品でみだらで好色、町人文化に根付いた人間くさい卑俗な精神です。「フィガロの結婚」の中で初夜権を復活させようと企む伯爵を代表とした貴族の堕落や不正の糾弾、フィガロら町人たちが元気一杯に積極的な行動をとっている点に封建貴族社会が平民たちに屈する近代革命劇として、また浮気や横恋慕など大衆風俗的な話題がテーマとなっている点に、はっきりとゴロワ精神を感じることができます。またフィガロら男性陣に負けず劣らず、スザンナを始めとする女性陣が溌剌としている点がこの作品の特徴でもあります。作中では医師バルトロに代表されるように男が女を物として、または道具としか見ていない感が否めません。男の横暴・身勝手さ、権力欲・支配欲、女性への差別意識といったものは、最終幕で伯爵夫人の大きな愛を前に屈します。ここにフェミニズムからの男性中心社会への攻撃そして復讐が描かれており、現代人の感覚からしても爽快感を覚えます。
「フィガロの結婚」のように貴族の腐敗ぶりを才知ある庶民がやり込める風刺劇は当時上演許可の取得が危ぶまれたそうです。しかし本作は1786年にウィーンにて初演され、プラハでは爆発的な大ヒットをきしました。このことは1789年のフランス革命を前にして、町人階級の勢力が高まってきた、そしてそのゴロワ精神がフランスのみならず周辺各国に浸透していったということをあらわしていると思います。しかし、作中で悪役として登場する貴族代表の伯爵はフィガロら町人たちに屈しますが、最終的には愛を手にするという点では貴族社会を下克上的にやっつけようとする勇ましさよりも、ちょっと懲らしめてやる程度の茶目っ気を感じます。ここにも厳格でないゴロワ精神の生ぬるさ・緩さがあり、同時に町民たちの流動的で未知のパワーを感じました。
忌中につき、新年の挨拶に「おめでとう」という言葉が使えないので、困りました。

考えた末、

「あけましてどーも。」

と言うことにしました。
他にも、

「どうもあけまして。」
「あけてしまいましたね〜」
「はーい、どうも。」

とか、レパートリーをいろいろ考えてみた。

というわけで
あけましてどうも。今年もどうぞよろしくお願いいたします。m(._.*)mペコッ

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