「絶妙のユーモア小説」という触れ込みの通り面白い小説で、先の読めない展開にどんどん引きこまれてしまった。ポール・ペニーフェザーというちっぽけでささいな、吹けば飛んでしまいそうな名前の主人公、彼は名前の通り彼の周囲の個性的でアクの強い人々の力に影響されてコロコロと人生を転がっていってしまう。もしポールが自己を持っていて、他人の意見や行動に左右されず、自分の意思で行動できるような人間だったら、転落の人生を歩まなかったであろう。彼のユニークで想像もつかない展開に、気の毒にと苦笑しつつも、あまりにシャキッとしないポールに対していらだちを覚えた。
   私は英国は長い歴史と伝統を背景としたジェントルマンの国だというイメージを持っていた。特にオックスフォードなど、上流・貴族階級の名門の出ばかりが集まる、優雅で上品な世界だと思っていた。「ブライズヘッド再び」はチャールズとセバスチャンの豪華で華麗な世界、精神的苦悩の物語であった。同じ作家が書く、オックスフォードの生徒が主人公の物語という点では同じだが、「大転落」と「ブライズヘッド」では大きくテーマのジャンルが異なっているように思えた。「大転落」ではコミカルな話の端々に、様々な風刺がこめられている。一番の風刺は伝統あるイギリス社会がいかにも滑稽で、理不尽なものとして書かれていることだと思う。この本を読んで私のイギリスに対するイメージは多少変わった。強烈なのは、黒人に黒ん坊という差別用語を使い野蛮の象徴、中国人(シナ人)は義和団事件などから残虐の象徴で登場し、ウェールズ人にいたっては大いにバカにされている点である。ここには20世紀初頭のイギリス人の差別と偏見の目がうかがえる。この小説は名門オックスフォードを代表とする教育、プレンターガストにみえる宗教、ポールと生徒の親との恋愛など実に多くのテーマが取り上げられているが、作中ではどれも風刺の対象となっているように思う。
最終章のジレーヌス教授の人生論がとても心に残った。「人生は遊園地の大車輪のようなもので輪の中心に行くほど動きはゆっくりとなる。その中心に近づこうとよじ登って吹き飛ばされて、またよじ登って・・・でもそれを楽しいと思う人がたくさんいる。」確かに、人生という大車輪において初めから中心にいる人間は楽かもしれないが全く面白みが無い。かえって大車輪の端の方に生きる人間は飛ばされそうになってしがみつき、けれどいつかは必ず中心にいる人間よりもより高いところにたどり着けるという希望を持って、人生を面白く生きてゆけるのではないか。ポールは中心近くにいたが、わざわざ端までやってきてこの人生の大車輪を謳歌していた。初めはなんと意志のない男かと嘆いたが、featherのように軽い人間のほうがfall or declineの時に自分を支えられるのかも知れない。人生は”fall ,decline and rise” のサイクルを何度も繰り返す大車輪のようなものなのだ。この言葉はこれからの私たちにとって大いなる勇気となりうるだろう。
   

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