『緋文字』は登場人物の愚かさ・弱さ・内奥の葛藤や罪の意識の描写が大半の文章を占め、ピューリタン思想を時代背景にした宗教色の強い作品であり、かつ一文が長く曖昧な記述が多いことから、読むのに息が詰まり、かなりの苦労を要した。この作品には考察すべきテーマは多々あり、それぞれ興味深いものなのだが、その中でも取り上げたいのは発表で私が担当した部分に含まれる「パールが胸に緑色の草で母親を真似てAの文字をつける」Pearl took some eel-grass, and imitated, as best she could, on her own bosom, the decoration with which she was so familiar on her mother’s . A letter, -the letter A,-but freshly green, instead of scarlet!”(第15章P171-L6)という部分である。Aといえば悲劇の元凶となる姦通罪の刻印、ヘスターAdulteryの緋文字のAが真っ先に思い出される。ここでのパールの行動は単に子供の遊びというだけでなく、何らかの意味が隠されているのではないかと推測した。パールの緑色のAの文字を考察する前に、ヘスターの緋文字について改めて理解しておく必要がある。
一章には監獄の黒・悪をイメージする言葉の羅列の中では極めて目立つ単語rosebush(4)が登場するが、これはもちろん緋色の文字を胸につける運命となったヘスターを象徴している。物語の舞台となるピューリタン的時代背景の下では、姦通罪を犯したヘスターはどす黒い陰惨な色で描かれてしかるべきである。気になるのは彼女の描写に使用されるのは姦通罪の緋文字や炎の赤色以外に、fine, elaborate, fantastic, gold, gorgeous等、鮮やかな輝かしい単語が目立つことだ。ホーソンはヘスターを悪や罪の存在としてのみ描いているわけではなく、むしろ神聖な印象を与えているのではないだろうか。これは”that mystery of a woman’s soul, so sacred even its pollution”(P65-L33),” What we did had a consecration of its own”(P187-L33)という文章からも明らかである。そもそも紅の薔薇とは、それが殉教を象徴することから、キリストの磔刑の場面に描かれ、受難の象徴を表すといわれている。一方で天使、聖人、祝福された者が頭上に載せる薔薇の花冠は天国の喜びを示唆する。そして緋という色自体は辞書を引くと「罪悪感を象徴する色であると同時に地位・身分の高さを象徴する色」とある。ヘスターは姦通女であり緋文字を胸につけて生きねばならないという試練を与えられたが、同時に聖母マリアの役割を担い、救いを象徴する存在でもあるのだ。姦通女と聖母マリア、全く相反する2つの象徴を兼ね備えたのがヘスターなのである。
一方、へスターの子パールは姦通によって生まれた子で、product of sin(P90-L11)罪を象徴する存在、または命を吹き込まれた緋文字として存在している。しかしヘスターに作品全体を通じて不可思議な子供、常に罪を意識させる罪の子でありながら、羽の生えた妖精(=天使)という描写もされている。彼女の神秘性は数回にわたって登場する森のシーンで際立つ。キリスト教の思想や概念にとらわれた俗世界とそれが全く介入しない自然、この環境の違いはヘスターとパールの精神世界の違いを生み出しているように思われる。森の中でヘスターが光に手を差し伸べると日光はヘスターに純粋な神聖を与えるのを拒否するかのようにパッと消えてしまう。厳しいピューリタン思想の下、その働きざまと慈善的奉仕によって次第に世間に受け入れられて来たように思えるヘスターも、太陽や光などの自然には受け入れられない。一方パールは森の中で生き生きと太陽の光を体中にまとって駆け回る。先ほど引用した「アマモで胸にAという文字を作る」という文章で緑色のAは、羽の生えた天使AngelのAであると同時にパールの自然に対する親和力のAbilityなのではないかと思う。そしてその緑色のAの文字はパールの胸に生まれながらに刻印されていると思えてならない。
19章で緋文字のAを捨て去ったヘスターを見て、パールが癇癪を起こした。パールはヘスターに罪の意識を促す緋文字を生涯付け続けさせねばならないという使命を担っている。この使命を果たすため彼女の胸にもAの文字が付いていると考えらのだ。お互いに共鳴して成り立つ存在であるため、どちらかのAが失われそうな時、連鎖的にもうひとつのAはそれを拒否する。ヘスターはピューリタン的俗世界で姦通を意味する緋文字のA、パールはキリスト教世界とは関わりの無い自然界の緑のA、いずれにせよ二人は同じAという文字を胸に付けて生涯を過ごさねばならないという点で、それぞれ意味と役割は違うが同じ運命を背負っていると言えるだろう。
一章には監獄の黒・悪をイメージする言葉の羅列の中では極めて目立つ単語rosebush(4)が登場するが、これはもちろん緋色の文字を胸につける運命となったヘスターを象徴している。物語の舞台となるピューリタン的時代背景の下では、姦通罪を犯したヘスターはどす黒い陰惨な色で描かれてしかるべきである。気になるのは彼女の描写に使用されるのは姦通罪の緋文字や炎の赤色以外に、fine, elaborate, fantastic, gold, gorgeous等、鮮やかな輝かしい単語が目立つことだ。ホーソンはヘスターを悪や罪の存在としてのみ描いているわけではなく、むしろ神聖な印象を与えているのではないだろうか。これは”that mystery of a woman’s soul, so sacred even its pollution”(P65-L33),” What we did had a consecration of its own”(P187-L33)という文章からも明らかである。そもそも紅の薔薇とは、それが殉教を象徴することから、キリストの磔刑の場面に描かれ、受難の象徴を表すといわれている。一方で天使、聖人、祝福された者が頭上に載せる薔薇の花冠は天国の喜びを示唆する。そして緋という色自体は辞書を引くと「罪悪感を象徴する色であると同時に地位・身分の高さを象徴する色」とある。ヘスターは姦通女であり緋文字を胸につけて生きねばならないという試練を与えられたが、同時に聖母マリアの役割を担い、救いを象徴する存在でもあるのだ。姦通女と聖母マリア、全く相反する2つの象徴を兼ね備えたのがヘスターなのである。
一方、へスターの子パールは姦通によって生まれた子で、product of sin(P90-L11)罪を象徴する存在、または命を吹き込まれた緋文字として存在している。しかしヘスターに作品全体を通じて不可思議な子供、常に罪を意識させる罪の子でありながら、羽の生えた妖精(=天使)という描写もされている。彼女の神秘性は数回にわたって登場する森のシーンで際立つ。キリスト教の思想や概念にとらわれた俗世界とそれが全く介入しない自然、この環境の違いはヘスターとパールの精神世界の違いを生み出しているように思われる。森の中でヘスターが光に手を差し伸べると日光はヘスターに純粋な神聖を与えるのを拒否するかのようにパッと消えてしまう。厳しいピューリタン思想の下、その働きざまと慈善的奉仕によって次第に世間に受け入れられて来たように思えるヘスターも、太陽や光などの自然には受け入れられない。一方パールは森の中で生き生きと太陽の光を体中にまとって駆け回る。先ほど引用した「アマモで胸にAという文字を作る」という文章で緑色のAは、羽の生えた天使AngelのAであると同時にパールの自然に対する親和力のAbilityなのではないかと思う。そしてその緑色のAの文字はパールの胸に生まれながらに刻印されていると思えてならない。
19章で緋文字のAを捨て去ったヘスターを見て、パールが癇癪を起こした。パールはヘスターに罪の意識を促す緋文字を生涯付け続けさせねばならないという使命を担っている。この使命を果たすため彼女の胸にもAの文字が付いていると考えらのだ。お互いに共鳴して成り立つ存在であるため、どちらかのAが失われそうな時、連鎖的にもうひとつのAはそれを拒否する。ヘスターはピューリタン的俗世界で姦通を意味する緋文字のA、パールはキリスト教世界とは関わりの無い自然界の緑のA、いずれにせよ二人は同じAという文字を胸に付けて生涯を過ごさねばならないという点で、それぞれ意味と役割は違うが同じ運命を背負っていると言えるだろう。
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