私はBridesheadを読んで、美しく華麗な風景を舞台としながらも主人公Charles、Sebastianなど様々な登場人物の愛や宗教心への葛藤など非常に重苦しいイメージを受けた。特に信仰問題への苦悩は、特定の宗教を持たない私にとっては想像もできない未知の世界の苦しみと言える。プリントではこの作品に対しての様々な批評・見解が書かれているが、その中で私が気になった「愛」と「宗教」に関する批評について感想を述べることにする。
“CharlesとSebastianの間の”romantic friendship”は”Charles’s first love is a homosexual attachment to the most conspicuous man of year by reason of his beauty”(P226-L17)にもあるように同性愛と解釈される、熱烈なものである。そして次はSebastianの妹Juliaへの発展途上の愛とも言える未完成の異性愛である。この愛に対してCharlesとSebastian間で象徴的だった言葉、”alone together”が使われていて、とても意味深い。最終的には神への愛(畏敬)だ。(”his loves form a series of steps like those on a Napoleonic ladder, from Sebastian through Julia to God”,P226-L9)
作品を読んでCharlesもSebastianもそれぞれ「愛」に対する考え方を持っているように思われた。Charlesの愛に性別もジェンダーも大きな問題ではない。Sebastianは愛に終わりがあるということを知っている。Sebastianは自分自身を好きではなく、(”I wouldn’t love anyone with a character kike mine.” ”I absolutely detest myself.” )彼の宗教と自己嫌悪の苦しみは“escape from reality”, ”feel free”, ”go on runaway, as far as I can” という願望を植えつけた。彼のクマのぬいぐるみは幼いころのan adequate object of loveの象徴であるのが物悲しい。    
Marchmain夫人はSebastian、そしてJuliaを敬虔なカトリック信者にしようと画策するが、Sebastianは、それに苦しめられ、次第に酒に身を持ち崩していく。また彼の美しい妹Juliaの結婚生活も同じく、宗教のために混迷に陥る。これまでに人生に大きく影響を与え、苦しみをもたらす信教とは、ヨーロッパ世界でこれほどに重要な問題だということを本文を通して知った。
Brideshead revisitedは、人間の成長・求愛そして結婚という話から、病気および老化、別離(離婚)、誕生および死、まで宗教的かつ精神的なテーマにまで発展している。人間の一生において必ずテーマとなるこれらのものを描いたこの作品がイギリスだけでなく世界中の人々の共感と興味を呼び人気を博したのは当然のここともいえるのではないか。これらのテーマにかかわらず、重たすぎない印象を与えるのは登場人物がとても個性的で、魅力ある人物たちであるからに違いない。

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